「動かないこともリスク」を海外移住をテーマに深読みしてみる
「探しものは何ですか♪」「見つけにくいものですか♪」。人生において、何かを見つけることよりも、実は何か探しものをしているときが一番楽しいのかもしれません。もし、特に探しものもなくなったら?探すことすらやめてしまったら?それはやはり、人生の損失でしょう。
井上陽水が軽快に歌うこのCM。この中で「動くことはリスクですが、動かないこともリスクです」というセリフがあります。
何度も目にしていたCMだったのですが、最近になって「動かないこともリスク」というところで、ふとひっかかってしまいました。「動かないことはリスクだろうか?」と。
自分の移住経験をもとに少し考えてみたいと思います。
「動いた」10年を振り返って
自分が海外移住を決意して実行して、約10年が経ちました。海外移住を思い立って以降、まさに人生山あり谷あり。それまでの瀬戸内海の穏やかな波のように超安定した29年の生活は、アッという間に太平洋の荒波に飲まれ南半球まで流されていきました。
日本で大企業という大きな傘の下でサラリーマンをしていたころには考える必要もなかったことや、遭遇し得なかった問題に何度も直面しました。
海外での不自由な生活、不安定な収入、不透明な将来。自分が動いたことによって色んなリスクを抱えました。まさに、あのとき自分が動いたからこそ発生したリスクであり、動かなければ今でもなに不自由のない安穏とした生活が続いていことは、容易に想像できます。
しかし逆に、動いたことによって得たモノもありました。
永住権などの目に見えるモノもその一部ですが、それだけではなく、海外でも生きていくために必要な最低限のスキルと知識、適応力や幅広い価値観など目に見えないチカラを身につけることができたと思っています。
また、外にでたことによって日本の素晴らしさも初めて実感できました。
持っていたモノを捨てて手が空いた分だけ、新しいモノを得ることができました。
動かなければ、どうだっただろう?
今回のテーマに戻ります。
あのとき動かなければ、それはリスクだったか?
自分が手に入れたいモノ、なりたい自分になるチャンスを逃したいう意味で、リスクだったと言えます。
実際「動いた」自分がこうやって振り返ってみると、あのとき「動かなかった」ことは自分にとって損失だったと気づきますが、「動かなかった」ならば、それが損失だとは気づいていなかったでしょう。
動かなかった自分は、動いたことによって得たモノの大きさが理解できないのですから、「チャンスを逃したよ」と言われても比較できないし、そもそも何も失っていないから、リスクだと認知できないですね。
しかし、動かないことによるリスクは確かに存在します。
自分の場合は「動く」対象が「海外移住」でした。
動かなければ、「海外移住」に対して、中途半端な情熱と妄信的な憧れを持ち続けていたことでしょう。
「動く」対象は人それぞれ。「自分が設定したものと全力で向きあう」ことが「動く」ということで、それを設定しないこと、設定したものから逃げることが「動かない」ということ。
動くべきときが来ている予感があれば、将来の損失になるかどうかをよく考え、リスクに備えることが必要じゃないかと思います。
では最後にまとめます。
「動かないこともリスク」は成り立ちます。自分が挑戦したいモノ、情熱を注げるモノがあるならば、それに向き合わないことは大きな損失を被ることに等しい。いかがでしょうか。
もう少し深み読みしたい方はロングバージョンもお楽しみください。